KGS囲碁日記、 囲碁4コマなど
このところ、朝晩めっきり冷えるようになった。
秋である。
「芸術の秋」などとも言う。
美術館に行く事など久しく無かったが、
最近珍しく、たて続けに展覧会に出掛けた。

野口久光
シネマ・グラフィックス
Noguchi.jpg

日本の印象派
金山平三展
Kanayama.jpg


どちらも素晴らしい作品ばかりで、気分が高揚する。
なかなか絵を観て、こういう気分にはなる事は少ない。
私は、対象がリアルに描かれ過ぎた絵には
あまり興味を魅かれないし、かといって
何だかよく分からない現代美術のような作品も苦手。
この二人の作品たちは、私のストライクゾーン
ど真ん中であった。

野口久光がポスター描きとして活躍していた時代は、
まだ私が生まれる前の事だが、どの一枚を取ってみても
圧倒的に魅力的だ。
「大人は判ってくれない」のポスターを見た映画監督の
トリュフォーはその芸術性の高さに驚愕し
最大級の賛辞を贈り、野口から贈られた原画を
生涯宝物にしていたという事である。
今、こんなポスターがあるだろうか?
今はどのポスターも、俳優たちの顔写真と
出来合いのフォント文字で出来ている。
私は、青春時代(あるいは今でも)にこんな人が
いてくれなかった事を非常に残念に思う。
彼なら、私の大好きな映画たちを
どんなポスターに仕上げてくれるのだろう
と想像してみる。

近くで見ると無造作に引かれた様な一本の線でも、
全体から見ると、そこになくてはならないような
存在感を放っている。
色もまた同じ。
なんてすごいんだ!!

落書き程度にでも絵を描いた事がある人なら(私もだ!)
誰でも、たった1mm線がずれただけで
全く印象が変わってしまうという経験をお持ちだと思うが、
彼らの線には、迷いというものが全く感じられない
(…様に、私には見える)
ブログに添えるポンチ絵一枚を描くのに、
ああでもない、こうでもない…と散々いじくり倒している
私は、野口の描いたオードリー・ヘプバーンの
ラフスケッチを見て、ため息をつくしかない。
あぁ、オレもこんな風に描けたらなぁ…

囲碁と絵画の共通性に言及する人は少なくない。
武宮正樹などもその一人だ。
「キャンバスに絵を描くかのように打てばいい。
 考えるんじゃなくて、感じて打つんだ」
などと言う。

すいません、できましぇん(>_<)
囲碁でも、たった一路の差に迷いっぱなし。
そして、銀玉親方こと山崎一夫氏の言うように、
「迷って選んだ答えは必ず間違い」
なのだ(>_<)

絵も囲碁も、無限の可能性の中から
一本の線を選んでいく作業の繰り返しだ。
終局(完成)というたった一つの結末を目指して…
そしてどの棋譜(作品)も等しく
その可能性から生まれた子供の一つだというのに、
そこに明らかに優劣というものが存在するのが、
不思議であるとも思う。

(追記)先日、ご来場カウンターが一万人を超えました。
    本日もご訪問、ありがとうございます
    m(__)m
    なんか、一万人目は自分がふんじゃったぽくて
    ちょっと、むなしかったです(笑)
    あと記録と言えば、KGSで8連敗しました。
    現在も記録更新中です(笑)
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【2012/11/10 12:32】 | 雑談
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