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KGS囲碁日記、 囲碁4コマなど
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突然、四コマ始めちゃいました(汗)
次回未定。
ブログ共々、宜しくお願いいたします
m(__)m
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【2013/10/09 09:29】 | へなちょ碁1~10
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4コマ
横浜くぷくぷ
面白かったですよ。v-39

特にぐるぐる回しが。ドリフのコントみたいですね。

Re: 4コマ
ペイシュー
> 面白かったですよ。v-39

ありがとうございます。
そう言ってもらえれば、嬉しいです^^

次回もちょっと変わった人たちが登場します(予定)
また読んでやって下さい。


面白すぎっ!
fedefede
こういう囲碁マンガって他にないですよね。
日本棋院に原稿送ってみては?

Re: 面白すぎっ!
ペイシュー
fedefedeさん、こんにちは^^
嬉しいコメントありがとうございます。

> 日本棋院に原稿送ってみては?

いやあ、ここでこうして笑ってもらえるだけで
充分ですよ。


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今期の囲碁講座
「万波姉妹の明日は勝てるマジカル手筋」
も前半を終え、講師は妹の奈穂先生から
お姉さんの佳奈先生へとバトンタッチされた。

2013takasugi01.jpg

それにしても、この講座が始まった当初は、
生徒役の高杉瑞穂があまりにもトンチンカンな事
ばかり言うので、これは一体どうなってしまうのだろうか
と心配になって見ていたものだが、
今では、立派に(…って程でもないけどさ)生徒役を務めている。
なんとかなっちゃうものですね。

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昨日の講座で、この番組が台湾でも放送されていると知り、
「ほほー」と驚き、少し嬉しくなる。
特集では、アマ世界戦を取り上げており、
各国の選手が
(特にマレーシアの天元ガール良かったですね!)
真剣に碁盤をはさんで向き合っているのを見て、
また嬉しくなる。
言葉は通じなくとも、碁盤を通じて解り合える。
まさに「手談」である。
囲碁、素晴らしいではないか。
ヘイトスピーチなんて下品な言葉ばかり並べている
場合じゃないよ。
囲碁やろうよ! 囲碁!

magicalkana2013.jpg

講座の方も、高杉氏がこなれてきたのは前述したが、
お姉さんの佳奈先生に変わってから、
より掛け合いがスムーズになってきた様な気がする。
奈穂先生は真面目なので、
高杉氏の天然ボケにいちいち相対し、
時に共倒れてしまう様な事もあったが、
佳奈先生の方は、天然ボケも含めて高杉氏を
大きく包み込んでしまうような雰囲気で、
高杉氏の様なタイプにはこういう方が良いのかもしれない。

なんだか高杉瑞穂の事を悪く書いてしまったが、
私は、この人の事が嫌いではない。
2ちゃんねるの囲碁板で、
「この人には、囲碁に対する愛がない」などと
批判されていたのを読んだが、私にはそうは思えない。
なにも棋力や勉強量だけが、
囲碁愛を計る唯一の基準という訳ではあるまい。
たまに碁の打てる友人たちと会い、
ゲーム感覚で碁を楽しむ。
そんな向き合い方であっても、それは十分
"囲碁愛" なのではないかと思う。
むしろ、そういうライトユーザーの獲得こそが、
これからの囲碁界には必要なのだという気さえする。
すそ野が広い程、山は高くなるのだから。

2013takasugi02.jpg

なによりこれだけネットで批判されても、
明るく前向きなのが良い。
こういう人は応援したくなる。

【2013/10/14 10:00】 | 囲碁一般
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「あまちゃん・総集編」を見る。
ダイジェストなのだが十分面白かったし、
なにより能年玲奈がとてもかわいかったじぇじぇじぇ!
(使い方が間違ってるね(^_^;))

大体、若い時分から流行には疎く、まして
この歳(40代半ば)になってみれば尚更であり、
それ故、流行り物などはこうして巡回遅れで見る事になる。
「家政婦のミタ」の時もそうだったし、
「龍馬伝」は現在、再放送に大はまり中。
残念な事に、周囲とこの感動を分かち合いたいと思っても、
「あんた、今ごろ何言ってんの?」
的な反応をされるのが落ちであり、
やはりそれはちょっと悔しいのである。
「半沢直樹」もまた、世間のほとぼりが冷めたころ、
再放送で見る事になるのであろう。
倍返しだ!

すいません。ちょっと言ってみたかっただけです。

もちろん、世間の流行などには流されず、
「興味ないね」
と悠然と構えていられれば良いのだが、そうもいかぬ。
普段は囲碁などといういささか
浮世離れしたゲームを趣味とし、
「モバゲーばかり流行って、碁の面白さが分からぬとは、
 世間の目も節穴であることよ」
と何様?的態度で世間を斜に見ている割には、
世間の流行りの事などもそれなりに気になり、
興味の無い振りをしつつも、ついチラ見してしまうのである。

「あまちゃん」を見たのと同じころ、
「能」というものも初めて見る。
そう言えば、40年以上生きてきて
「能」ってまだ一度もまともに見た事無いよね。
と思いたち、テレビでやっていたのを見たのである。
…が、残念な事に
私にはさっぱりその良さが分からなかったのである。
よーーっ ポン!!
などと鼓の音に合わせて、演者がかくかくした動きをする
のを見ていると、意に反しておかしさがこみ上げて来て、
思わず吹き出してしまう。
「うわ、やべ。 生で観てなくて良かったよ…
絶対、笑ってヒンシュク買ってるわ、オレ」

と全くもって愚にもつかぬ感想を述べてしまう始末。

「能」が好きな方はお怒りだろうと思うが、
どうか許して欲しい。
悪いのはおそらく私の感性の方だ。
観阿弥、世阿弥のころから、人々に愛され、
何百年(!)も受け継がれてきたものを、
一見(しかもテレビで)しただけの私が、
「よく分からなかった」という理由で
切り捨てられるはずもない。

「伝統」と「ポップカルチャー」は対立するものではない。
時に、
「伝統」は「ポップカルチャー」の事を、
「浅い、軽い、内容がない」などと批判し、
「ポップカルチャー」は「伝統」の事を、
「古い、ダサい、分からない」などと批判し合う様な事も
あるかもしれないが、
両者が潰し合う事無く、多様性を保ちつつ
ここまで共存できているのは、
この国の豊かさであると思う。

「昭和元禄 落語心中」
(雲田はるこ 著 ・ 講談社)
は、最近読んだマンガの中では一押しの作品だが、
その中に、若い対称的な2人の落語家
助六と菊比古が語り合うシーンがある。
助六が言う。
「見ろ。戦争が終わって日本は何もかも変っちまった。
 なのに落語はひとつも変わらねぇんだ。
 この人気に甘えてむしろ変化を恐れてるよ。
 今はいいよ。けどなあ 長く人の娯楽であり続けるには
 それじゃダメなんだ。とにかく今、客にうける噺が
 してぇんだ。いつの時代も。
 それにはいつも客に合わせて
 俺がかわらなくちゃならねぇだろ」
しかし菊比古は
「そんななァおかしい。
 そんななァもう落語とは言わねぇだろ」
と否定する。
この後、二人がどういう運命をたどるかは
作品をお読みいただくとして、
私にはどちらの意見も正しい様な気がするのだ。

「助六」と「菊比古」
「テレビゲーム」と「囲碁」
「あまちゃん」と「能」

変わるもの、変わらないもの。

【2013/10/23 17:22】 | 雑談
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NHK杯だが、ちょうど昼食を取ってくつろいだころに
放送されるため、観てると眠くなってくる事もしばしば。
昨日の、羽根 vs カトアツの熱戦も睡魔には勝てず、
いつしか夢心地。
…が、解説の小県真樹が放った一言に目を覚まさせられる。

ゲタとドンが見合い

なんか語呂が良かったのと、
これって囲碁知らない人が聞いたら謎の呪文だよね
と少し可笑しくなる。

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この様なシュールな光景を思い浮かべるのではないだろうか?
言葉って難しい。

先日、KGSを打っていてちょっとだけ嬉しいことがあった。
終局後、大抵のプレイヤーは、thx(…や、ty、gg など、
まあ、39ってのはどうかと思うが(^_^;))
と挨拶して落ちるのだが、
ポーランドのプレイヤーが、終局後こう挨拶して去っていった。

my pleasure

直訳すれば、「私の喜び」
…まあ、「楽しかった」くらいの意味なのだろうか。
なんか、ちょっと良いなあと思い、ほっこりしてしまう。
自分も使ってみようかとも思ったが、
ちょっと気恥ずかしいのと、打つのが面倒くさいので
結局、今日もまた相変わらず、thx なのである。
fuck you も言葉ならば、
my pleasure も言葉なのだ。
言葉は生きている。
時に人を傷つけ、時に人を喜ばせる。

ちょっと話がずれるかもしれないが、
以前、宇宙飛行士の星出彰彦さんがスペースシャトルで
宇宙に行って話題になった。
その時も思ったのだが、星出さんの名字がもし
星出さんじゃなかったら(例えば山田さんだったら)
星出さんは宇宙飛行士にはなっていなかったんじゃ
ないだろうか?
この名字(言葉)は、宇宙飛行士という夢の実現に
どうも一役買っていたんじゃないかという気がしてならない。

思い出したので、もう一つ。
2006年の新聞記事で、
面白いのでスクラップにしておいたものがある。
35歳の男性が六甲山に登り、
帰りに崖から転落。
腰の骨を折ったため動けず、当初は焼き肉のタレを飲んで
飢えをしのいでいたが、救助されたのは24日後。
普通なら絶望的な状況だが、この男性は
冬眠状態にあったため、奇跡的に助かった
ということである。

人間が冬眠状態になっていて助かったということにも驚いたが、
さらに私が驚いたのは、腰を打って遭難したこの男性の名が、
「打越さん」であったという事だ。

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【2013/10/28 15:51】 | 雑談
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